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献茶婦とは葬儀・法事等を手伝う専門職です
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好き嫌いで仕事をする気はないけれど
人として
可能な限り遭遇したくない式がある。
同じ施設の 違う式場で、 など
ニアミスは何度もあるのだけれど
どういうわけだか それまで遭遇したことがなかった。

それは 子どもを送る葬儀。


宗派は真言宗。
おねえさんはMさんとNさん。
N区会館にて。

遺影の中の幼い顔は
つつくとはねかえすような弾力を感じる。
他の式だと 「静かにしなさい!」 と
叱られてしまう 葬儀とは不似合いな
楽しげな声が聞こえてきそうな。


生を受けたら 死は避けることができない。
それが早いか遅いか、 個人差があるだけなのに。


お別れで 棺に入れる花を配りながら
こみあがる感情を堪えて
奥歯を噛み締めて下を向いてしまうことがある。
今までの人生で接点があった人の式に
献茶婦として出たことはない。
なので 故人を偲んで感情が湧き出るわけではない。
遺された人達の 愛する人を見送る辛さや
感謝や心残りや愛着が
複雑に絡み合ったものを想像したり
自分の人生で経験したものとオーバーラップさせたりして
勝手にたまらなくなるのだな。


子どもの場合は オーバーラップさせる経験が私にはない。
ただただ 想像するだけ。
それなのに こんなにも辛い。


私は司会者ではないので
声を出せば震えそうな状況でも
案内をするフリをして 言葉にならなくてもどうにかなる。
奥歯をかみしめて 変な顔の人になりきればいいだけ。


誰にでも死は訪れる。
老いても若くても 生物学的に 死は平等。
斎場によって 子ども料金を設定しているところもあるけれど
棺に入って荼毘に付される点では同じ。


私は愛する人を失って
生きる意味 生かされている意味を
答えを求めないままに考えていた時期があった。
どんなに時間を割いて考えても
どこかに答えがあったとしても
私はそれを 自分以外の者から教えて欲しいとは思わない。


子どもであろうと
老人であろうと
死ななければならない哲学的な理由は きっと ない。
只管に 自然の営みの一環であるだけだろう。

それでも この感情から 逃れることはできない。
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画・構成:木月けいこ
原案:にわ晃子
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プロフィール
HN:
にわ晃子(acco)
性別:
非公開
職業:
献茶婦
自己紹介:
阪神間で動き回っています。
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