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献茶婦とは葬儀・法事等を手伝う専門職です
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大阪・本町の北御堂には 定期的に
ワンフレーズ法話とも言えるお言葉が掲示される。

掲示板のようなものがあるお寺では
時々見かける類のもの。

今 掲示されている言葉は

生きてよし
死んでよし

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

生を受けたから 死がある。
こんな当たり前のことなのに。

短い言葉の捉え方はいろいろある。

何かに直面したとき

生きてよし
死んでよし

これほど心強い言葉はないだろう。

即身成仏を唱える教えはいくつかの派があるけれど
自殺・自死を否定しない宗教は私の知る限り浄土真宗だけ。
(実際には他にもあるだろうけれど 知らないだけ。
 そして私は浄土真宗に身を委ねていない。)

自死に関わるとき
残された人の苦悩がとても苦しくて。

死ぬことを選んだ故人さまの選択が
正解かどうかはわからなくても
そういう道もあったんだよ、と 伝えることができたら。

私自身は 自死について思うとき、
残された人のことが気にかかる。
残された人が 救われてほしい。

死を選んだご本人は それによって
きっと何かが救われるのだろうから。
出棺前、 お棺のふたを閉める前のお別れで
よく聞く言葉 「ええとこ行きや」。

関西弁のこの言葉が好きで。

生命の終わりは旅立ちに比喩されることも多く
実際 実在した人がいなくなるという事実は
旅立つというこじつけでもって
残された人が納得するのも
理解できる。

日本では 葬儀で
故人さまの復活を願う意義はない・・・と思う。

日本の葬儀は 宗派に関わらず
「お別れの儀」の意味が強い。

会えなくなっても
話ができなくても
現世ではないところでも
故人さまが 安らかに 穏やかに、と 願って言う。

「ええとこ行きや」

そして
「待っててや、あとで必ず行くからな」 と 続く。

故人さまが
「ええとこ」に行くための導きとして
お経をあげたいと思うのだろうな、 と
【葬式仏教】という言葉に対して いつも思う。

無宗教の儀でも 「ええとこ行きや」の精神は感じるけどね。
知り合いが自殺した。
親族の友達だった人物。
直接交流があったわけではないけれど
子ども時代の笑顔をよく覚えている。


私が仕事に出るということは
必ずどなたかが亡くなられているわけで
人の死は ある意味日常の事柄のひとつ。


毎日のように凶悪な事件がメディアで流れるけれど
実際のところ
それらが身近で起こることは滅多にない。

けれど、 自殺というケースは 時々 遭遇する。
ちょっと勉強風味に。

先祖代々のお墓があり、
葬儀・法要などでつきあいのあるお寺のことを菩提寺と呼び、
そのつきあいのある人・家のことを檀家と呼ぶ。
宗派によって 違う呼び方の場合もあり。

檀家制度は、
江戸時代・キリシタン禁制により端を発していて
当初は 民の戸籍管理のような意味合いがあり
急激に仏教が農民に広まったという。
それまでは 八百万の神信仰が主流。






葬儀業界で つきあいのあるお寺と喪家の関係は
檀家さん、 で 通じている。


葬儀をする場合、
菩提寺がご近所であれば話は早いのだけど
遠方であったり
ちっともつきあいがなかったり
様々な事情 (いろいろあるんですよ)がある場合
宗派に応じて 葬儀社がお寺を紹介することになる。
私には
特別養護老人ホームで暮らしている
大正生まれの祖母がいる。


身元引受人は私。



認知症が一気にすすんで入院したのが
確か 6年前の夏。


半年後に退院した時、
彼女の余生を 心地よく過ごして欲しいとだけ願った。


それ以来 グループホーム→現在の特養、 と
彼女の状態では 快適に過ごせる場で生活している。
コミックエッセイ
発売中
【献茶婦は見た!
 お葬式の内緒ばなし】
画・構成:木月けいこ
原案:にわ晃子
出版社:新書館
税込840円
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プロフィール
HN:
にわ晃子(acco)
性別:
非公開
職業:
献茶婦
自己紹介:
阪神間で動き回っています。
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