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献茶婦とは葬儀・法事等を手伝う専門職です
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知り合いが自殺した。
親族の友達だった人物。
直接交流があったわけではないけれど
子ども時代の笑顔をよく覚えている。


私が仕事に出るということは
必ずどなたかが亡くなられているわけで
人の死は ある意味日常の事柄のひとつ。


毎日のように凶悪な事件がメディアで流れるけれど
実際のところ
それらが身近で起こることは滅多にない。

けれど、 自殺というケースは 時々 遭遇する。




私たち献茶スタッフが 故人さまの死因を知る機会はほとんどない。
それについて 葬儀社から伝達されることも
こちらから 尋ねることも 決してない。
なのに どこからともなく聞こえることがある。


大切な人を亡くすのは 悲しみが伴って当たり前。
まったくの私見だけど
自殺のケースでは
悲しみの他に 重苦しい緊張感があるように感じる。


自殺はいけない、 という社会通念があるからだろう。
社会として、 ないと困る類のモラルだけれど
だからこそ
残された人への突き刺さり方も尋常ではない。



突然死や事故死のケースでは
周りの人が
「あの時 こうしていれば」 と
様々なタイミングの『もしも』を思う。

それが自殺だと この『もしも』は
さらなる後悔を伴い、
故人のためにできなかったあれこれをもって
残された人を傷つける。


自殺の事実を知った第三者は
残された人たちにかける言葉を失う。
簡単に力になれないことは、 多くの人が想像できるから。
結果として彼らは孤立してしまう。


自殺をとりまく話は いつだって救いがない。



ここで、
いかに自殺がいけないか、 を論じたいのではなくて。


私が仕事に行くと
いつもそこには 残された人たちがいる。


重苦しい空気を目の当たりにして
彼らが救われる道はないのか、 と思う。


彼らが光を見出すとすれば、
それは 彼らが自力であがくしかなくて。
・・・誰も手を貸せない。


先述の自殺した知人より
会ったこともない、
彼が 「残した人たち」 のことが気にかかる。


ーーー


私はよく言う。
社会病理としての戦争はアリだ、 と。

同じく
自殺もアリなのだ、 と。


だけど、
モラルとして崩壊している事実を受け止めるのは難しい。


ーーーーー


知人が自殺してから 今に至るまで、
随分時間が経ってしまった。

他にも 「残された側」 の友人がいる。


文章として まとめることができず、
こうして外に吐露しいている状態でも
私が意図した通りに表現できているかは自信がない。
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にわ晃子(acco)
性別:
非公開
職業:
献茶婦
自己紹介:
阪神間で動き回っています。
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