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献茶婦とは葬儀・法事等を手伝う専門職です
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八百万の神が出たので。


少し前、 幸福の科学葬に出た時、
献茶婦としては初めて斎場に同行した。
分骨をする為の 二つの骨壷 (ORマークの特製) が大き過ぎて
担当者が一人で持てない、 というのが 同行の理由


斎場という場所は 宗教の坩堝。
横に並ぶカマの前で
あらゆる宗教が 横並び かつオープンに
それぞれの様式で 死者に引導を渡す。
わずかな時間差はあるけれど。


この時、 幸福の科学葬。
既に記憶に薄いのだが ここでも経典を朗読。
やはり 目立ち度抜群。
サラウンドな角度から視線を感じる・・・
数個離れた他のカマの前のご遺族数人が
涙を拭きながら こちらをチラ見していたのが印象的。


高らかに鳴る ちょっとセレブな響きの鈴。
おごそかに棺はカマの中へ。
宗教宗派に関わらず ご遺族はただひたすら哀しくて。


そこに 次の一団が。
宗派はわからない。
袈裟を着た僧侶が おりんをチーン、 チーン、 と鳴らし
その後ろに ご一行様が しずしずと。




不謹慎ではあるけれど 正直な感想を言おう。
あの場は なんだか節操がない。
もっと言うなら 情緒がない。

儀式としてのスタンスと
作業としてのスタンスと
ご遺族の感情と
これらが相容れないのは当たり前だと 開き直った場所、 それが斎場。



だけど。
斎場に行く前に 「最後のお別れ」 で 感情的にクライマックスを迎え
少し冷静に 現実的な場所で 棺をカマに入れる、 というのは
きっと人情として理に叶っているのだろう。
だって 斎場でカマに入る直前に 感情のクライマックスを迎えたら
遺体を焼く、 という事実が 辛くて辛くて仕方ないもの。




宗教が原因で血を流しても平気な方たちなら
「仏陀を信じるヤツを焼いたカマで 兄弟を焼くのはイヤだ」 とか
言い出しかねんな。

そういう意味で 日本人の宗教観というのは
やはりどこか徹底していない。
あっちの神もこっちの仏もウェルカムなゆるさがなんとも(以下まとまらず)




書いていて思い出した話。
東ヨーロッパの人たち (ロシアン・カトリックが多い) に
日本の寺院にいるカミサマ(仏様も含まれる)は
何故 みんな怒った顔をしているのか、 と尋ねられて困った記憶が。
仁王様や阿吽の像、 不動明王を指しているのだけど。
菩薩様でも マリア様のような微笑みとは違うものね。



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にわ晃子(acco)
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非公開
職業:
献茶婦
自己紹介:
阪神間で動き回っています。
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